昨今、男性がスキンケアやメイクをする時代へと突入しつつあることは、身の回りを見渡したり、YouTube等を見れば明らかです。特に韓国では若い男性のメイクは、もはや当たり前になってきています。しかし、男性の化粧の歴史は意外に古く、すでに古代から始まっていました。
メンズメイクは最近できた新しい文化かと思いきや、長い歴史のあることだと考えると驚きですよね。それぞれの時代の男性がメイクする理由も気になるところです。
今回の記事では、江戸時代までメイクの歴史をさかのぼり、メンズメイクとメンズコスメの歴史までわかりやすく解説していきます。男性のメイクの歴史を深く掘っていくと、美しい男性とは何かという美学の答えにたどり着けるかもしれません。

スキンケアは現代において一般的になり、普通の時代になりました。
今はメンズメイクも流行して基礎化粧品は必要不可欠な時代です。
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江戸時代に流行ったメイクは現代と似ている?

江戸時代に流行ってたいメイクは、現代と似ており、赤(紅)・白(白粉)・黒(眉すみ・お歯黒)の3種類のみでした。その中でも唯一の鮮やかな色である紅は、唇や頬、目元、爪に、時には化粧下地として用いられることもあったほど、女性の顔に彩りを与える大切な色です。
現代でも、紅は口紅などにも使われており、女性らしさを表す色ですね。しかし、江戸後期に流行ったメイクは単なる紅ではありませんでした。
江戸後期に流行ったメイクは緑の口紅

江戸後期に流行ったメイクはある変化が起きます。当時大人気だった歌舞伎役者や、太夫や花魁など、身分の高い遊女たちが笹紅と呼ばれる口紅を流行らせたのです。

紅花から抽出する紅を下唇に重ねて濃くつけ、玉虫色に光らせます。紅花から抽出する紅はとても高価なもので、沢山の紅を使い、新しい物好きな江戸っ子たちの間で流行りました。
玉虫色に光るのは品質の高い小町紅だけです。当時の小町紅は現在の金額で1つ6~7万円という高級ブランド品です。庶民の女性たちにはとても手が届きません。
そこで女性たちは下唇を墨で塗りつぶした上から、精製の粗い廉価な紅を塗り、流行の笹紅を再現したそうです。いつの時代も、流行のお洒落を取り入れたいという女性たちの思いは変わらないのですね。
江戸時代|色が白いのは美人の証

江戸時代は、色白が美人の第一条件でした。日本人の白い肌への憧れと美意識は今も昔も変わりません。昔の人々にとって肌の白さは、日に焼ける労働をしない高貴な身分の象徴で、同時に、当時は貴重な白粉を使うことができる豊かさの証でした。
つまり、庶民には欲しくても手が届かないものだったのです。
そうしたイメージが白肌への憧れに結びついて、白い肌に価値を置く美意識が生まれたと考えられます。
また、江戸時代ではどのような方法で白い肌にしていたのか。色が白いのは下記の方法を守っていたからです。
- 白粉で化粧をする
- 白粉は水で伸ばす
- 自家製のスキンケアを使う
- 人気の化粧水

それぞれについて解説します。
一般的な化粧は白粉
一般に、江戸時代によく使われた白粉は鉛白粉(なまりおしろい)です。鉛白粉は、伸びがよく使い心地がよい上に、価格が安いというメリットがありました。
純粋な鉛だけの白粉でも、粉の細かさで、上から「生白粉(きおしろい)」「舞台香(ぶたいこう)」(芝居役者が使う白粉)、「唐(とう)の土」と3つに分かれ、一番下の「唐の土」は安物でした。このほか、オシロイバナの種子の中にある真っ白な胚乳を粉に混ぜ、増量した調合白粉なども使われていました。
白粉の塗り方は水で伸ばす
都風俗化粧伝の顔面之部では、化粧をするには、まず白粉を溶くことを第一とすべしとし、白粉の塗り方の手順を詳しく紹介しています。
白粉化粧をするには、丹念にといた白粉を、額から両頬、鼻、口のまわり、耳、首すじの順に、肌に置いては手で伸ばすを繰り返す。
次に刷毛(はけ)に水をつけて、つけた白粉をていねいに伸ばす。
さらに紙に半紙(和紙)をあてて、上から濡らした刷毛で何度もはいて白粉をしっかり肌になじませた後、乾いた刷毛で粉白粉をむらなく伸ばす。
最後に、湿らせた手ぬぐいでまぶたの上や目じりなどをなでで白粉を薄くして、厚化粧にみえないようにする。
現代からすると、手間も時間もかかる化粧法ですが、江戸時代は肌の白さが何よりも大事でした。肌を白く見せるため、白粉の塗り方にも非常にこだわっていたのです。
当時の美白スキンケアは自家製
白い肌へのこだわりは、白粉化粧に限ったことではありません。
顔面之部には、「色を白くする薬の伝」「色を白くし光沢(つや)を出す薬の伝」「色を白くし、肌を細かくし、美人とする伝」などといった、現在の美白スキンケア※に相当する処方が紹介されています。
色を白くするための処方は、漢方系材料や顔料を何種類も混ぜて作るものから、庶民が手に入る材料でできるものまで様々。

例えば、冬瓜(とうがん)と酒を煮詰め、布でしぼってかすをとったものを、夜寝る時に顔に塗り、翌朝洗い落とすという処方は、庶民でもできる自家製美白パック※でした。
また、洗顔料として、ぬか袋や、あずきの粉入りの洗粉(あらいこ)などを用いましたが、あずき・滑石(かっせき)・白檀(びゃくだん)の3種を粉にして合わせた洗顔料が、色を白くする薬の処方として紹介されています。
白粉で白くするだけではなく、素肌に働きかけて色を白くしようとするスキンケアの意識は、現代と同じようです。
※メラニンの生成を抑え、シミ、ソバカスを防ぐ
※日やけによるシミ・ソバカスを防ぐ
人気の化粧水は花の露と江戸の水
化粧水で有名だったのが、花露屋から発売されていた花の露と、式亭三馬が文化7(1811)年に売り出した江戸の水です。
芝増上寺の東、大門の傍らにあった芝神明前の「花露屋(はなのつゆや)」は、寛永の末、嘉左衛門(嘉右衛門とも)という江戸の医師がつくったと言われ、江戸初期から明治時代まで続いた化粧品店でした。

江戸名所百人美女 芝神明前では人の出入りも多く、賑わっていたことが伺えます。
花の露は当初、化粧油として市販されていましたが、江戸時代後期には油を使わない化粧水として人気を博していました。花の露の効能について、
この香薬水(においくすりみず)は、化粧してのち、はけにて少しばかり面(かお)へぬれば、光沢(つや)を出し、香(にお)いをよくし、きめを細かにし、顔の腫物(できもの)をいやす。
と記しています。
また、原料の茨(いばら)の花、丁子(ちょうじ)、片脳(へんのう)、白檀(びゃくだん)を蒸留用の器具を用いて花の露を作る方法を挿絵付きで詳しく紹介しています。このことからも、「花の露」が、多くの女性たちに愛用されていたことがわかります。
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メンズメイク誕生の歴史

ここまで江戸時代のメイクや江戸後期に流行ったメイクについて触れてきました。一方男性の場合、メンズメイクには歴史はあるのでしょうか?ここではメンズメイクの日本の歴史を時系列で追っていきます。時代ごとの要点をそれぞれまとめていきますので、ご覧ください。
- 古代:メイクは服従の証
- 平安時代:男女ともに白塗りの眉化粧が流行
- 平安後期〜鎌倉時代:対照的な平氏と源氏のメイク
- 室町〜戦国時代:戦国武将もメイク
- 江戸時代:清潔感は江戸っ子の条件
- 明治以降:男性がメイクをしなくなった
古代:メイクは服従の証だった
古代の間では男性女性関係なく、赤化粧という習わしが流行りました。赤化粧の起源は、古墳時代と言われています。赤化粧とは、赤い土を顔全体に塗るメイク方法です。現代のように外見のおしゃれや健康面を意識するというよりは、信仰や魔除けの意味合いが強かったと言われています。
さらに太陽神・自然の神様を拝み、豊作を祈ったという歴史があります。派生して赤化粧は支配者に向けた服従の証としても用いられていたとのことです。
古事記でも、「兄、著犢鼻(たふさぎ)して、 赭(そほ) を以て 掌 に塗り、 面 に塗りて、其の弟に告して曰さく、「吾、身を汚すこと此の如し。 永 に汝の俳優者たらむ」といった文書が残っており、これは訳すと「兄が弟に永久に服従する」といった意味です。現代では服従といった意味は化粧にはないので新鮮ですね。
平安時代:男女ともに白塗りの眉化粧が流行

信仰や服従、魔除けといった意味を超え、平安時代には白塗りの文化が流行します。日本では鎖国が始まっており、化粧においても独自の文化を形成することとなりました。
なぜ赤化粧から白塗りの化粧に変わったかといえば、日本の家、建物が寝殿造りに変わったことが理由として挙げられます。寝殿造りの建物は屋根が従来よりも長くできており、太陽の光が遮られるため暗くなります。

平安時代では赤化粧よりも、顔がはっきりと認識できる白塗りの方が便利だったという説が有力です。
白塗りは、肌を綺麗に見せることにも適しており、男性女性問わず流行しました。特に男性は眉毛が凛々しく見えるとより魅力的であるとされており、眉毛メイクも白塗りとともに盛んになりました。平安時代から、日本ではこのような美を意識したお化粧が台頭し始めます。
平安後期〜鎌倉時代:対照的な平氏と源氏のメイク
男性のメイクも盛んになり強い武士や貴族たちの間では、そのメイクスタイルによって主義、勢力がわかるほどの意味合いを持ちます。特にわかりやすいのが、平氏と源氏です。
平氏は、平安時代からの流れをそのまま汲み取るような濃い眉毛に白塗りといったメリハリのある厚化粧です。一方源氏はといえばノーメイク(すっぴん)を貫きます。この現象が意味することは、平安後期〜鎌倉時代で、化粧によってどの勢力に属しているかがわかりやすくなってきた点です。

平安後期〜鎌倉時代にかけて、メンズメイクがチーム所属の証となってきたと言えます。
チームやイベント事で同じメイクをしたりといった例は現代でもあるので、今の化粧のルーツがどことなく垣間見られる時代背景だと思われますね。
室町〜戦国時代:戦国武将もメイクをしていた!

原氏が平氏を倒し、一旦戦国武将たちの化粧・メンズメイク文化は落ち着きます。
しかし室町時代になると、再び流行り出します。室町〜戦国時代には、お歯黒が特に流行しました。お歯黒の起源は定かでなく、一説によれば朝鮮半島から北方民族に輸入され、貴族の間で広まったという説が有力です。
最初は、成人の証であるという意味合いでしたが、次第に女性の美しさを現すものへと変化します。男性へと派生し、戦国武将の間で大流行。また、お歯黒は当時では虫歯予防にも良いとされていました。

有名な話として、豊臣秀吉までお歯黒をしていた証拠も残っています。
豊臣秀吉の伝記「太閤記」の中で、「作り髭に眉を作り、鉄黒なり」とあり、簡単に訳すと「作り物の髭をこしらえ、眉を塗り、お歯黒を施す」という意味となります。
豊臣秀吉等の周りではお歯黒が流行ったことから、お歯黒が良い身分の証ともされてきました。一説によれば、お歯黒をするほどの高い身分の武将を倒したと見せかけたいために、戦いで取った首の顔にお歯黒を塗る武将が出るほどの文化の浸透ぶりだったそうです。
参考:日本歯科医師教会 歯とお口のことならなんでもわかるテーマパーク8020
江戸時代:清潔感は江戸っ子の条件だった
江戸時代になると、武士のメイクやお歯黒の文化は廃れ、白い歯が清潔感の証として浸透します。赤い口紅に綺麗な白い歯は、江戸っ子(男性)の間では粋であるともされていたとのことです。
江戸っ子の身だしなみとして、高い清潔感が重視されます。そのため銭湯でムダ毛を抜いたり、細い眉毛を意識するように手入れをすることが流行り出しました。

江戸っ子のおしゃれは今で言うところの脱毛やメンズメイクの起源とも言えそうです。
ムダ毛処理には特殊な石が使われていたという逸話もあります。現在の脱毛処理と比べると、かなり痛そうですね。
明治以降:男性がメイクをしなくなった

明治以降では、かつての厚化粧や清潔感を重視するようなメンズメイクは無くなっていきます。理由としては諸説ありますが、戦争の影響が大きいと考えられています。
政府が富国強兵を歌い、急激に近代化を推し進めました。男性はより軍事力や産業に力を入れるようになります。化粧やメンズメイクは仕事や作業の邪魔になることから、急激に廃れていきました。
明治以降から、男性はノーメイクで男らしく、かつ立派な髭を蓄えることが美徳とされていきます。高価な鎧や軍服も良い身分、高い位の証とされていきました。

明治以降から、男性と女性の化粧への意識が大きく変わってきたように考えられます。
女性は富国強兵の影響を受けず、従来通り化粧文化を続けられたから。時代を振り返ってみると、時代ごとの状況に応じて、男性の化粧、メンズメイクに対する美意識が表現されているようにも感じますね。
これらの歴史を踏まえた上で次段落以降で男性の化粧、メンズコスメの現代史についてもわかりやすく解説していきます。
【現代史】メンズコスメの誕生

現代に入ると戦争も終わり、徐々にメイクをする男性が増えてき始めます。例をあげれば、海外をはじめとしたビジュアル系バンドなどですね。KISSやデヴィッド・ボウイといったロックバンドやミュージシャンが走りとして有名です。
細野晴臣さん率いるYMOや、忌野清志郎さんなどが日本でも台頭していきました。続いて、渋谷109を中心とした独特の文化、ギャル男が台頭します。さらに、欧米のおしゃれを意識した、フェミニン系の男性も流行り出します。一般男性では清潔感を重視するため、綺麗に髭を剃り、短髪であることが社会人としては求められるようになりました。
一般男性のメンズコスメといえば、髭剃りクリームや髪をセットするためのヴィップやワックス、ヘアムーズといったものが代表的です。
メンズコスメの誕生
メンズコスメの現代史を語る上で、特に象徴的だったでき事としては、化粧品やサプリで有名なDHCがDHC MENを始めたことが挙げられます。
マスメディアがメンズエステ等を男性のおしゃれとして大々的に取り扱ったことも手伝い、男性でも女性のように本格的なスキンケア商品やサービスを行う企業や通信会社も増えてきました。最近でも流れが続いているのは、街中のエステサロンやネット通販の商品群を見れば明らかでしょう。
男性用コスメの始まりは除毛剤
意外にも、現代史における男性用コスメのはじまりは、除毛剤であったという説もあります。理由としては、上記に挙げたビジュアル系バンドが流行ったと同時に、ムダ毛を処理したいといった男性ニーズが増えたこと。

ビジュアル系バンドに毛が多くあるといった例はあまりみられないですね。
男性用の化粧品

女性用の化粧品も売れていく中で、男性用化粧品が台頭した理由としては、以下の3つです。順番に解説していきます。
- リピート率が高い
男性用化粧品は、女性用に比べ競合が少なく、一度使って良かったものであればそのまま使い続ける消費者が多い為です。女性用の化粧品のように次々と新しいものが出るスピードも高くなく、リピーターを多く抱えられたのは企業にとっても大きなメリットだったと考えられています。
- 原価率が低い
女性の口紅やファンデーションといった長く使う耐久性のあるものではなく、男性用化粧品は消耗品が圧倒的に多く、原価率を低く抑えられたことも、流行の主な要因であると言われています。仕入れコストを抑えられれば、長期的に販売し続けられるからですね。
- マーケティングや分析がしやすい
男性用の化粧品の場合は消耗品である場合が多く、使用用途も限られ種類も少ないため、分析がしやすかったことも理由として挙げられます。企業の商品開発においても男性用のシンプルなコスメは、商材として優れていたのでしょう。
草食系男子が現れる
2000年以降、草食系男子と呼ばれる男性が現れます。少食系男子とは、恋愛に消極的であり、ガツガツ異性に攻め寄らない若い男性を指します。他にも特徴としては、没頭できる趣味をもっていたり、自分だけの世界を持っている等の意見も。
草食系男子が生まれた背景には、2000年以降インターネットの台頭が大きいと言われています。インターネットによって、YouTubeやゲームなどの2次元的世界が広がり、現実世界の恋愛の煩わしさを避ける男性が増えたのではと考えられています。

草食系男子は、派手な化粧というよりは、地味なスキンケアをすることが多い印象です。お金をかけすぎずに、周囲に溶け込むようなナチュラルな見た目を好む傾向もあるようですね。
人がメイクをする5つの理由

なぜ人がメイクをするのかについて触れていきます。現在の化粧の需要を、データを元に見ていきます。
大手化粧品メーカー、コスメサロンPOLAの消費者アンケートを参考に、5つの主なメイクやスキンケアをする理由は下記の通りです。
- エイジング対策
- 身だしなみ、マナーとして
- 肌の悩みをケア・カバーしたいから
- 紫外線から肌を守りたいから
- 未来への投資だから
現代では、若くみられたい、身だしなみとして清潔感のある印象を与えたいといった、「外からどうみられるか」に強いニーズがありります。
ケアやカバー、紫外線から身を守る等、お肌の健康を守る側面へと続きます。さらに、未来永劫若いたいといったニーズや、自分に自信を持ちたいからといったポジティブな理由も多いようです。
これらが主に最近のメイク、スキンケアをする理由です。古代の男性が、なぜ化粧をすることになったのかを各年代ごとに分け、具体的に深掘りしました。ぜひ参考にしてみてください。
江戸時代から続くメイクはメンズもする時代

江戸時代から続くメイクは現代になり、メイクやコスメに現れていることが窺えますね。歴史を振り返ってみても、メンズメイクやメンズコスメをすることは、時代を反映した誇らしい文化とも捉えられています。
現在の社会では、より個人の多様性が求められるため、ますます男性のメイクやコスメは盛んになっていくでしょう。科学やIT、テクノロジーの進歩によって、より便利で質の高い商品もどんどん生まれてきています。

ぜひあなたも今回も記事を参考に、現在の社会に合わせた、自分らしい化粧や、メンズメイク・メンズコスメを楽しんでみてください。
ただ、気になるのは肌の悩み。
基礎的なコスメを選びたい。
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